安住村

■不便が色々なことを発見させてくれる

★医師、歯科医師、治療家対象の「その人研究-その人療法」セミナー
受講者に向けて2013年4月1日に発信したメールより抜粋

こんにちは、伊東です。
先日3月29日に上田先生の所へ抜歯と消毒とチェックに行きました。
抜歯は左下しかできませんでした。
他はまだ腫れているようで、しばらくこのままにしておこうということになりました。

実際、右下はまだだいぶ腫れているのを実感します。
右下に関してはまだ2か月くらいはかかりそうです。
上左右は2週間位はまだ腫れていそうです。

手術前はこんなに大変だとは思っていませんでした。
直前になって「大変そうだ」と聞き、急遽セミナーの予定を延期していただき、大変迷惑をかけました。

案の定、手術は大変でした。
もちろん今は上にも下の左右にも歯は入っていません。
それと口蓋が腫れあがっており、舌が自由に動きません。
「感染したのではないか」という上田先生。これも2ヶ月位かかりそうです。
その前に上の義歯と下左右の義歯は入れられそうです。

4月4日から合宿があります。
その前日の3日に間に合わせて頂こうと思っています。
まだ鼻を強く噛むことができません。色々不便です。

でもこの不便が色々なことを発見させてくれます。
私は人の不思議をたくさん知りたいと思っています。
決して壊れている訳ではないのに、それまでとは全く違う状態になる。
あるいは人とは全く違う感覚になる。
これはありがたいことです。

皆と同じ、あるいは正常。これが違ってくることで全く自分独自の感覚になる。これまで経験したことのない感覚。何か優越感さえ感じます。

65年も正常にあったなら、もうそろそろ違った状態を体験してみたいと思うのは普通ではないでしょうか。ただ私の場合はこれが若い頃からありました。

普通に生きていけば壊れないかもしれない。しかし、自分は決して普通に生きたいとは思っていませんでしたから、どんな状態になったとしても命をかけ精一杯生きてやる。そう考えての全国放浪であり、社会人としてのスタートでした。加減しない生き方。躊躇しない生き方。無難を選択しない生き方。そんな生き方を求めてのスタートでした。

それから約45年、そんな生き方ができたと思います。後悔しない生き方、それもできたと思います。自分の寿命は19歳、それが過ぎれば23歳、それが過ぎれば29歳と考えていました。しかし、29歳も過ぎると寿命など関係なくなりました。生きている限り、いつも精一杯に加減することなく生きようと考えました。65歳。考えてもいなかった歳です。もちろん戸惑いはあります。

これからの人生は全て儲けの人生です。何をやっても許される。そんな想いです。
人が未来に不安なく生きていけるよう、そんな空間が必要です。たとえ独り身になろうが、周りは皆仲間達です。そんな空間、一人ではできません。皆の協力が必要です。

手術の翌日からの食事は流動食です。もちろん今日現在も同じです。
その間、すき焼き、参げ湯、チゲ、麻棒豆腐、カレーライス等、食べ、いや流し込みました。真美ちゃんの作る手料理はうまいのです。何もかもミキサーにかけます。

先日はおじやにバナナとアボガドを入れました。出来上がったらドンブリにいっぱいになりました。どうしよう。とっさに思いましたがこれがまた、うまいのです。どれもこれもうまいのです。

色は少しずつ違っていますが、状態は皆同じです。口に入れると美味しいと思うのに、気持ちの方は「もういいや」になっているようです。せっかくのチャンス、何でもミキサーにかけて流してやろうと思っていましたから、ここで脱落する訳にはいきません。あと僅かですから、今のうちに味わっておこうと思っています。

人前でほとんど屁などしたことのない私が手術中から今までずうっと多量に出ます。ストレスからガスを増産するのでしょうか。開腹手術でガスが出、それに引火して爆発して手術中の人が死んだという話もあります。

今日は4月1日です。ここ河口湖では2、3日続いた雨も上がり、朝から晴れ間がのぞいています。それでも朝晩は1、2度です。寒いのは病人や老人にはきついかもしません。

安住村の場所は山梨から長野にかけての地域で探そうとしていますが、少し考え直した方がいいような気もします。静岡や千葉の山の中が良いかもしれません。

約10万坪を確保しようと思っています。花園あり、授産施設あり、保育、幼稚園、小学校、中学校あり、宿泊施設あり、牧場、農場、果樹園あり、加工場あり、販売所あり、病院、診療所あり、道場、トレーニング場あり、他色々ありの安住村です。

皆、仲間です。脳の情報を読めるようになってください。

■人生の目的は面白く、楽しく、納得して生きること

★医師、歯科医師、治療家対象の「その人研究-その人療法」セミナー
受講者に向けて2013年3月31日に発信したメールより抜粋

こんばんは、伊東です。
3月も今日で終わり、明日から4月が始まる。

桜も最初の勢いはなくなり、おかげで花見の期間が延びたようです。

何が起こるか分からない。
何がどうなるか分からないことだらけの空間に生きていることを実感させられます。
そんな思い通りに行かない空間をどう生きるのかということが生まれたときから問われているのが人生だと思います。

時代、国、性が違っても全く違う生き方をしたでしょう。
それでも思い通りに行かないのが人生です。

中学一年生の頃よりどう生きるのが良いのか、どんな生き方が良いのか、そんなことばかり考えていました。
物心がついた頃から始まった「自分探し」でした。
人はどう考えているのだろう、という考えが「人と話す」に繋がり、クラスメイトのほとんどにそんなテーマで話しかけた。
それだけでは充分ではなく、ちょうど実家が喫茶店をやっており、常連の立命、同大、京大の学生にも投げかけた。
しかし期待した返答はなく、大学生というのはそんなものなのかと考えるようになった。

その頃、叔父が家によく来るようになっていたこともあり、その叔父に今度は投げかけた。叔父は早大卒業後、東大で西洋文学の研究をしていた人であった。

叔父の返答は「本を読んだらどうだ」だった。それに素直に従い、河出書房や新潮文庫を読み漁りました。
そのうち文学の面白さも少しずつ分かってきたようでした。
クラスメイトにも数人、文学に没頭している者もおり、それがさらに刺激になり、読み漁りました。
そんな時代だったように思います。

その後文学、文庫は余り読まれなくなり、撤退していった出版社もいくつかありました。
テレビの出現がその裏にあったのはまぎれもない事実です。
文学に親しんだから哲学できるのかというとそうではないということはその時の大学生を見れば分かっていました。しかし、昭和、大正の時代の学生のイメージは「哲学をする学生」でした。
それでも文学は哲学をする上で大いに役立つと思います。
私にとってのヘルマン・ヘッセ、ゲーテ、ルソー、ドストエフスキー、トルストイ、サガン・・・は間違いなく私の人生に影響を与えました。

自分の人生、自分の時間、誰も入り込めない空間。
生まれてくる以前から地球はあり、国はあり、社会はあり、人が居た。
すでにたくさんの人生があり、終わっていました。
そんな空間に出現した自分です。
これから始まる時間、人生。
どう生きるか、どう生きればいいのか。
何かを参考にしなければ分からない。
何を参考にすればいいのか。
それを誰に聞けばいいのか。
それが文学であり、さらに自らの体験を増やす、だったのだと思います。

自分が生きる上で何が価値あるのか。
 何に命をかけられるのか。
そんな問いかけを中学時代、全ての時間をかけてやっていたように思います。

中学三年生の時には「自分の人生、自分が責任を持って命をかけて生きるしかない」とだいたい答えを出していました。
それで中学三年生の時から家を出よう、親、姉妹と一緒にいれば成長できない。
自分の生き方を掴めない。そう思い、「家から出してほしい」と頼み込みました。
しかし、両親は反対でした。

幸い高校一年で盲腸の手術を夏休みにし、一週間ほど床に入っていました。
それが大きなきっかけになりました。
「せっかく病気をしたのだから、これを生かさないわけにはいかない。」そう考え、「家を出してくれなければ死んでやる」と両親に訴え、ついに勝ち取った「家出」でした。

当日はケネディ大統領が暗殺され、号外が京都駅前でも配られていた朝に郷里を離れ、一人30kgのバーベルと180cmのシャフトを持って14時間の東海道本線の車中の人になりました。
それから始まった私の人生でした。

その時はそれほど気づいてはいませんでしたが、「小学校の時のいじめ」がどれほど自分の人生に役立ったか。本当に自分の運命、体験に感謝してもしきれません。
それらが私の体に残した傷は人生を左右し、人生を推進しました。

結局それが今回受けたインプラント手術にも繋がり、またこの大切な時期に貴重な時間を提供してくれました。
身体は実験場。
実験ボックス。
身体は気付きの宝庫。
身体は過去と現在と未来を繋げてくれる大切なもの。
病気、身体のトラブルは自分の元―脳と繋げてくれる一大イベント。

病気、けが、トラブルは悪いものではない。
その人にとってそれが何なのかを知るチャンスであり、学びです。

今の医療はそんなことは関係なく、一方的に押し付ける。
そこには人の尊厳もなければ「その人本体」もない。
機械やものを作り出す技術と同じでしかない。

医療は人を扱っている。ものとは違う。
そんなこと、どこで学べばいいのか。
そんなこと、どこで教えているのか。
そんなことにいつ気付けばいいのか。
そんなこと誰も教えてくれない。

それは人の尊さ、人生、時間、空間、そして自分の価値…をどれだけ自分のものにしているのか。
その答えの結果でしかない。
何を教えても響かない者に対して何ができるのか。
どうしたらいいのか。
私の人生、生きる目的はこの一点だったように思います。

思い切り自分の人生を大切にし、そして人の人生をどれだけ尊重できるか。
それが生きてきた証なのだと思います。

自分の未来が見えない中で生きていかなければならない今の社会。
そんな中で私は思いきり抵抗したいのです。
未来―老後―認知症か寝たきり、介護施設か病院、あとは自殺か孤独死。
そこから逃れられる方法は余りありません。
せめてそこは自分達で勝ち取ろう。

私はそう考え、中学生の時、考え出した理想郷をさらに発展させ、安住村に替えました。
人生を共に生きてきた仲間。
そんな仲間とコミュニティを創ろうとしているのです。
未来に不安がなくなれば、思い切り生きられると思うのです。

病気、症状―それは不安が一番の原因です。
だから私は原因除去療法を目指したのです。
どれだけそんな不安を克服できるか、それは自分の責任です。
しかし、「自分の責任」を上回るものもあります。
それを仲間達で補い合うのです。

ただ自分勝手に生きる者に対しては関わりようがありません。
哲学をし、人生を求め、真理を求め、生きている仲間だからこそ協力し合えるのです。

私が人に伝えたいことーそれは自分の生まれてきたことの意味を勝ち取ることです。
意味があって必要があって生まれてきたのですから。
何にも惑わされず、誰からも邪魔されず、自分の存在する意味を掴むことです。
そのために必要なのが自分の脳の情報が読めることであり、相手の脳の情報も読めることなのです。
そうすれば自分勝手はなくなります。

人は元からやってきたのです。
皆、元々は仲間なのです。
それに気付けるかどうか。
それを知りたい、掴みたいと求めるか。
そんな者達が仲間です。

私のこれからやることは、もうすでに決まっています。
安住村を創ることです。

私の人生の目的は面白く、楽しく、納得して生きることです。
それを満たしてくれるのが安住村です。

■自分に関心をもつための方法

2013年3月7日
納得のできる医療、人生を求めて保険診療をやめ、伊東聖鎬と共に「その人研究-その人療法」CW療法を行おうとしている歯科医師達との打ち合わせの中での話です。

調整を行って効果が出ても、それがずっと持続するわけではありません。
だから、自分でやって欲しいと、本人に指導しているんです。
人の体は、他人任せにはできないんです。
その人がどんな生活をしているのか、その人にこれからどんなことが起こるのか、そんなこと知りたくても知りようがありませんから。
いろいろな状況が変わる中で、身体の状態も変化するんです。
調整の効果を持続させようとするなら、状況が変わらないことが条件ですよ。
そんなことできないでしょう。だから効果が持続しないというのは、あたりまえのことなのです。
それが駄目だというのなら、患部を切除する以外ありません。外科手術をすれば、患部はなくなるでしょう。
ほかに、薬を飲み続けるか、麻痺させるという方法もあります。
取り除くか麻痺させるのが希望でなら、病院に行けばいいのです。
しかし、それが嫌だというのなら、自分でやるしかないですよ。
放っておいて、身体がおかしくなったというなら、そうなる前に自分で気をつけて、自分で対処すればいいんです。

私は病気や症状をなくすことに協力しているのではありません。
自分自身に関心を持ってほしいのです。
私が伝えたいのは自分研究なんです。そして自分文化です。
自分研究、自分文化という考えの上にできあがったのがCW療法です。
自分に関心を持って、身体がおかしくなる前に気づき、自分で調整できるようになってほしい。
自分自身のことに関心を持つということをスタートしてほしい。
それを伝えたいのです。どうしたら相手が自分に関心を持てるようになるか。
そう考えてできあがった方法を、CW療法と言っているんです。

重力バランス軸や支持骨など、CW療法にはさまざまな分野がありますが、根本にはこういった考え方があるのです。
CW療法とは、自分研究、自分文化なんです。自分のことは、自分で責任を持つ。
生きてゆく上では、それ以外ないのです。

老人問題、認知症……様々な問題があります。施設で人間扱いされずに死んでいく人もいます。
将来、自分がそうならないほうがいいでしょう。
そうならないために、仲間同士でどうしたらいいかを考え、コミュニティを作りましょうと呼びかけているんです。
自分の問題に、自分で責任を持つ。
この考え方を持っている人達で作るコミュニティが安住村です。
コミュニティを作っていくうえで、人材を確保していきたい。そんな目的のために人材を育てる、そんな指導を、医療者に対しても、いろいろな分野の人たちに対しても行っていきたいという考えが活動のベースにあるんです。
そういった人材のために開発したのが、CW療法です。CWとは治療ではなく、ものの考え方なのです。
赤ちゃんや幼児のCW、夫婦のCW…それぞれの分野でCWというものの考え方があるんです。 
それぞれの分野で、個々人が自分らしく生きるということを、自分の責任のなかでやっていく。
そういう人達は、安住村の住人としての資格がありますよ、ということなんです。

2012年大晦日

こんばんは、伊東です。
いよいよ大晦日になりました。

あっという間の1年でした。
日本中が病んでいるような年月があっという間に50年が過ぎたように感じます。

中学2年のとき、こんな社会、こんな日本じゃ国民は幸せになれないと感じ、何とかしなければ!!
そんな思いで生きてきた50年でした。
 
同級生達のほとんどは挫折していきました。
社会に出てからも知り合った人のほとんどが挫折していきました。
「ただ飯を食って寝て、歳を取ればいい」というものじゃないと考えられる人がどれだけ居ただろうか。

年寄り達が、障害者が、若者が、それぞれの状況の中でも一生懸命、命をかけて生きていける空間がない。
どうせ生きていくのなら命をかけて生きていきたい。
そう思う人も少なからずいるはず。
周りが社会の流れに飲み込まれようと、今の社会を、今の日本をなんとかしなければ。
そんな思いは家族にも友人にも伝わらず、変人扱い、 気違い扱い。
 
そんな20代を生き、出会ったのが姪の知的障害でした。
同じ人間として生まれてきたのに生まれながらの知的障害。
自分の差別問題を切り抜け、ようやく自分の生き方を見つけ出せそうになった頃に誕生した姪でした。
 
それまでも全国を放浪し、全国各地で出会ったいろいろな弱者の存在がありました。
いつしか「そんな弱者に対して自分は何が出来るだろう」と考えるようになり、
気付いた時には人生の目標が「弱者への協力」になっていました。

弱者。
たぶん日本に住む人のほとんどが弱者な のだと思います。
自分の命なのに、自分の人生なのに、自分らしく精一杯生きることも出来ない。
何に命をかければいいのか、人生を命懸けで生きる生き方も掴めない。
そんな人がほとんどです。
掴みたくとも掴めない。
 
こんな辛い、惨めな生き方、人生、存在ってあるだろうか。
年寄りになれば自分の身の置き所もままならず、人任せ、国任せになってしまう。
家族も知人も当にならず、と言って自治体も国も当てにならず。
一体どうしたらいいのか。
そんなことを考えて いる人が五万といます。

大晦日だというのに生きている意味も新年を迎える意味も考えられず
ただ夜を迎え、朝を迎える。
氷点下の今、全国にそんな人がいっぱいいます。

自分のできることは、ほんの少し。
ちょっとしたこと。
それしか結局はできない。

自分のできることは、安心して老後を生きられること。
障害者も、今元気な人も、若者も、安心して生きられる空間。
そんな空間を作ること。

ものの価値観が同じと言える仲間。 そんな仲間を全国で見つけ出したい。
そんな空間が全国にできれば、少しは何かの役に立つかもしれない。

そんな共通の「価値観」がCW(コスミックウィ ズダムー宇宙の叡智ー人間の真理)。
そしてそんな空間が安住村です。

ようやく50年がかかって来年、大方の準備がで きそうになってきました。
皆さん、2013年はそんな年です。 一緒に精一杯生きましょう。
来年も宜しく。
プロフィール

伊東聖鎬