人は存在する理由があって生まれる。
存在する理由が次第に小さくなっていくことが加齢であり、存在する理由が0になった時、それが寿命。

10代~40代までは、存在する理由はそれほど変わらないから、小学生や中学生は、社会人と同じレベルの存在する理由をもっている。
しかし、そのレベルにおいて自分を高められる環境にない。
年齢が上がり社会に出ると、親や教師、社会から教育された責任というものを持たされる。
そういう責任を持つことで、自分の存在する理由の帳尻を合わせている。
しかし、それは自分に関係なく仕組まれている社会の中においての責任でしかない。
本来の自分の存在する意味からすると、自分を見失いただ生きているということでしかない。
社会に出る前の若者達は、そういう責任さえももてないことでで、同じレベルの存在する理由が届いているのに、それをまっとうできない。
そんな環境にあることで、気力もなくなり、それが引きこもりや自殺に向かわせる。
社会人になったとしても、実は見失った状態で生きている。
つまり、どちらにしろ、存在する理由に対して対応できていない。
存在する理由がそれだけあるのに、まっとうできない状態でしか生きていない。
そのギャップを持ち続けている。
それは、元から脳にダイレクトに入ってくるゆらぎ(精神)、つまり存在する理由が充分に脳に届いていないからそういうことが起こっている。
大事なのは元から脳に入ってくるゆらぎが、100%入ってくるような状態にしなければいけない。

自分の責任って何なのか?
自分の意識や自覚だと普通は考える。
「自分研究-自分関心-自分責任」というラインからいくと、自分の意志における責任だが、さらにもっと先にいったところの自分の責任は、自分が存在している責任。
しかし、自分が存在している責任というところに、人がいない。
その下には自分を見失った人ばかりが、あふれている。
本当の意味においてのその人が存在する理由、責任というところに、その人がいないといけない。
それが私のテーマ。
そこから、自分研究、納得できる生き方、自分らしくという言葉に繋がる。
私が発信するものは、すべてそこからであり、そこがベース。
それを人に伝えるのに、難治な病気や症状、ビューティやアンチエージング、そして相手に自覚できるようにセンサーといわれるものを扱っている。
それを人に実感として伝えるために自分研究ワークショップを開いている。

2012年8月25日 新宿 出版会議 ライター取材に応えて